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第1展示室

令和4年度特別展 京都平野と豊国の古代

京都平野は後期旧石器時代の約3万年前から人類が住むようになり、狩猟を中心とした生活を営んでいました。すでにこの時代から京都平野は、九州地方の北東部に位置することから、瀬戸内海を介し、本州などからの影響を受けながら文化を発展させてきました。
 縄文時代になっても、他地方との文化交流は、その多くが豊前地域を窓口として行われ、東日本で発達した文化の影響を幾度となく受けて発展してきました。すでに後の時代にもつながる地域的な特色が、旧石器時代、縄文時代からみられたのです。
 弥生時代には水稲耕作に適した自然環境を背景に、急激に開発が進み、行橋市下稗田遺跡のような大規模集落も営まれました。稲作文化の受容とともに、朝鮮半島の人びととも交流するようになり、銅矛や銅鏡といった文物も朝鮮半島からもたらされました。
 引き続き、古墳時代の京都平野は瀬戸内海を通じた近畿地方との海上交通における九州東岸の玄関口でした。古墳時代の京都平野や宇佐地域の豪族は、九州最古級の定型化した前方後円墳である、苅田町石塚山古墳や宇佐市赤塚古墳が築かれたように、倭王権と早くから結びつき、後々まで緊密な関係を持ちました。6世紀以降、京都平野の有力な豪族は、倭王権から豊 国 造という地方官に任じられ、京都平野を拠点として豊前北部を統括したとみられます。
 さらに豊前地域には、朝鮮半島からの渡来人も多く居住して先進的な技術をもたらすとともに、飛鳥時代には朝鮮系瓦が甍を飾った寺院が多く造営され、仏教文化が花開きます。その発展の上に、奈良時代には鎮護国家の寺として、京都平野に豊前国分寺も建立されました。豊前地域の仏教文化は、全国の神々に先駆けて神仏習合をはたした宇佐八幡宮を生み出し、宇佐八幡宮と神宮寺の弥勒寺は、京都平野にも宇原 荘・蒭野荘・津隈荘などの荘園を広げて行きます。
 律令国家の成立により、豊国と呼ばれていた現在の福岡県東部と大分県にあたる地域は豊前国と豊後国に分かれたとされます。京都平野には豊前国府が置かれ、引き続き、豊前国の中心として繁栄します。豊前国府の近くには豊前国草野津という九州東岸の重要な港も築かれ、瀬戸内海を通じた平城京・平安京との海上交通の拠点として機能しました。
 京都平野の原始・古代を概観することにより、古来、京都平野を中心とする豊前地域が、朝鮮半島、九州北部、近畿地方との交流の拠点として繁栄し、日本の古代文化形成の上で大きな役割をはたしたことに思いをはせることができます。
重要文化財金銅立飾付眉庇付冑・三角板鋲留短甲 行橋市稲童21号墳出土 古墳時代・5世紀 行橋市教育委員会所蔵
墨書土器「京郡物太」「京都大」「津」 行橋市延永ヤヨミ園遺跡出土 奈良時代~平安時代・8~9世紀 九州歴史資料館所蔵
三角縁獣文帯三神三獣鏡(1号鏡) 苅田町石塚山古墳出土 宇原神社所蔵
豊前国仲津郡丁里大宝二年戸籍断簡 正倉院旧蔵 飛鳥時代・大宝2年(702) 奈良国立博物館所蔵 写真撮影:佐々木香輔

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